勝手に与えて悦に入る

 

求めよさらば与えられん!?

そもそも恋愛とは…

前回の話:ひたすら求めるだけの強欲者?
http://love-skill.net/tomori/archives/602

さて、それでは、今回も別の観点から
《求める愛 と 与える愛》の
バランス問題を考察してみよう。

このバランスをいい感じに保つのが
なかなかうまくいかない要因の一つに

“求める”と“与える”

この“2つ”のバランスを
自分だけではかってしまっている
というのがあると思うのだ。

いや、コレ、ちょっと考えてみれば
当たり前なのだけれど

バランスをとらなければいけない要素って
“2つ”じゃなくて“4つ”あるでしょ?

まずは、キミの

“求める愛”と“与える愛”

※これを【求めるA】【与えるA】

そして、カレの

“求める愛”と“与える愛”

※これを【求めるB】【与えるB】

そう。大元となる要素は単純にこの4つだ。

で、当考察テーマの
バランス問題が発生するのは

与えるA=求めるB
求めるA=与えるB

とは、なかなかならないということに
起因する部分ってとっても多いわけ。

人ってどうしても

自分がされたら嬉しいことは
相手もされたら嬉しいはずだ

っていう風に思いがちだよね?

でも、コレって必ずしも一致する
わけではないでしょ。

いや、コレも言葉という
表現ツールの不完全さによる
もどかしいとこだけど

嬉しいか、嬉しくないかという
2つの選択肢で考えてしまうと
ここでする話のニュアンスが
伝わりにくくなってしまうから。。。

“されたら嬉しい指数”みたいな
モノがあるとイメージしてみて。

例えば

LINEで『おはよー♪』の
メッセージをもらったとして

もちろん、嬉しいか嬉しくないか
で言えばお互い、“嬉しい”には
違いないとは思うのだけれど

キミの嬉しい指数が80くらいだとしても
カレの嬉しい指数は50くらいかもしれない とか

まぁ、何かしらの差異がそこにはあるわけ。

で、中にはキミにとっては90以上の
最上に嬉しいコトがカレにとっては
10あるかないか…みたいな!?

きっと、そんなのもありそうでしょ?

で、コレがたくさん積み重なっていくと
トータルとしてかなりのギャップが
生まれている可能性はかなり高い(p_-)

前回の話に照らして

相手が求めているコトに応えて
あげたくなるのが与える愛

ということであるならば

カレが本当にされたら嬉しい
をちゃんと見極め感じることのできる
感性が重要になってくるのだ。

それなのに

自分のモノサシ・価値観による
されたら嬉しいを
(勝手に?!)たくさんやって

《こんなにもワタシはアナタのために…》

と悦に入る。

そういうパターンって結構多い?!

まぁ、でも、そこには
相手を喜ばそうという想いも
介在しているわけだから、
よしんば、それはそれで許容したとしても

さらにカレに対して

《なのに、アナタは全然してくれない…》

と咎める。

というのは、、、ね

024

“求める愛”と“与える愛”の
バランスを保つのが難しいのは
相手があるからというのは
確かにそのとおりなのだけれど

コレって、決して相手側の
問題ばかりではなくて、
むしろ自分の問題の方が
大きいのかもしれないね(¨ )

・・・

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ひたすら求めるだけの強欲者?

 

その《してあげたい・与える愛》の源泉は?

そこに含有されている思いの
バランスはどうなってる?

前回の記事:
http://love-skill.net/tomori/archives/597

と、このように源泉というところに
目を向けてみると

《してあげたい・与える愛》といいつつも

もしかして、その実体はある意味

《してほしい・求める愛》なのか…?

ということにハタと気がつくわけ。

見返り目的系だとすれば、
それはまんま《してほしい》だし

仮にその源泉が純粋な思いだとしても
要はコレも大好きなカレの喜ぶ顔を
求めているということだしね。

と、こういう具合に考えてみると

要はキミのカレに対する愛は
本質的には全て

《してほしい・求める愛》

ということになってくる。

048520

ん?

いや、別に僕は…

キミがただただクレクレばかりの
強欲な人間だと言っている
わけでは決してないよ。

コレって僕らが何の疑いもなく
普通に使っている言葉という
ツールの不完全さというか、
もどかしさの一例だ。

では、ちょっと立場を入れ替えて
考えてみよう。

カレに対するキミの愛が
本質的に全て《してほしい》
だとするならば

キミに対するカレの愛も
同様に全て《してほしい》
だということになるでしょ?

で、そうなってくると

恋愛とは

『本質的にお互いが求め合うもの』

と、言えなくもないわけだ。

・・・

さて、ここで

愛する相手から何かを求められたら
自然とそれに応えてあげたくなるよね?

だから、つまり

『相手が求めるものをお互いに与え合う』

それが恋愛

と、いう具合になってくる。

求められなければ与えられない。

まずは求めがあるからこそ
与える喜びも満喫することができる。

求める愛 と 与える愛

この2つのバランスというのは
こういう前提の元に成り立っている。

そんなフレームで捉えてみると
何かちょっと今までとは違って感じる
コトがあるような気がしてこない?(¨ )

昨今の

“まずは与えましょう♪”

的な考え方が良しとされている風潮の中

求めるばかりの自分に気がづいて
罪悪感的なモノを何となく
抱いてしまい、ちょっと苦しくなっている

なんて人も結構多いと思うのだけれど

そもそも恋愛って求めるモノなんだ

という前提に立ってみると
少し気持ちが楽になったりとかしない?

(つづく…)

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純度100%の与える愛

 

こういった恋愛コラム的な話で
よくありそうなパターンとして

—–

今のあなたのその恋愛。

そこにあるあなたのカレに対する愛は
“求める愛”ですか“与える愛”ですか?

ちょっと考えてみてください。

・・・・・
・・・・
・・・
・・

はい、そうです。
両方ありますよね。

でも、そのバランスをちょっと冷静に
思い返してみましょう。

最近のあなたは
求めるばかりになっていませんか?

だからうまくいかないのです。

いいですか?

欲しければまず先に与えましょう。

そうすれば自ずとあなたの恋愛は
うまく回り出すはずです。

—–

みたいな?!文脈

ね。ありそうでしょ?(笑)

いや、でも、ホント
コレはそのとおりで

恋愛をする時っていうのは誰しも
この二つを併せ持っていて、
その恋愛がうまくいくか・いかないかは
この二つのバランスがうまく取れているか

コレにかかっている と。

この考え方に僕も異存はない。

でも、そうは言っても
実際問題として

なかなかこのバランスを
いい感じに保つのって難しいよね

という問から始まっての

前回は損得“勘定”では
この“感情”の始末はどこまでいっても
つかないよという話だったわけ。

前回の話:
http://love-skill.net/tomori/archives/594

で、何とか違った観点から

この「してほしい・求める愛」と
「してあげたい・与える愛」の
バランス問題を考えてみよう

ということで、話を続けるね。

えーっと、それでは

まず「与える愛」というヤツ。
コッチをちょっと紐解いてみよう。

どうやらコッチのほうが重要な
カギを握りそうな気配があるからね(¨ )

そもそもこの「してあげたい」という気持ちは、
愛する・大好きな人の喜ぶ顔が見たい・役に立ちたい
というところから発生するものだと思うわけ。

で、その源泉がこういう気持ちであれば
二人の関係にはとってもいい感じに
作用するはずなのだ。

ところが、ひとたびコレが

「してほしい」を引き出すため、
その見返り欲しさが源泉になってしまうと
ちょっと雲行きがおかしくなってくる。

“してほしい”ありきの“してあげたい”は
 本来の“してあげたい”ではないのだ。

とはいっても、僕たちは人間だから

純度100%の“してあげたい”というのは
なかなか難しいわけ。

だから、要はコレもバランスで

そうだなぁ
例えば 冒頭の文に沿うなら

—–

あなたのその「与える愛」

その源泉となっているのは
カレの喜ぶ顔が見たい・役に立ちたい
という気持ちですか?

それともあなたが求めるものを
引き出すための見返り目的のモノですか?

ちょっと考えてみてください。

・・・・・
・・・・
・・・
・・

はい、そうです。
両方ありますよね。

でも、そのバランスをちょっと冷静に
思い返してみましょう。

最近のあなたの「与える愛」の源泉は
見返り目的の方に偏っていませんか?

—–

みたいな(^^ゞ

まずは、バランス調整のフォーカスを
コチラに絞ってみるということ。

うん。

やってみる価値はありそうだよね。

(つづく…)

・・・

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求める愛と与える愛

 

とってもシンプルで、
よーく知っていることなのに

バランスをいい感じに保つのが
何気に難しい。。。

それはなんでだろう?

前回の話:してほしいとしてあげたい
http://love-skill.net/tomori/archives/590

さて、この『なんでだろう?』に対して

もしかして

—–

いや、ホント、そうなんですよ!
もう、カレが全然
してほしい をくれないんです。

私はこんなに
してあげたい をあげてるのに…

—–

みたいに思った?(¨ )

いや、まぁ、その気持は
わからないではないよ。

男ってそのテの言動をあからさまに
表現することが苦手だったりするからね。

確かに、そういう観点からも
このバランスを保つのが
難しいというのはあるだろうと思う。

でも、それって例えば

キミが『愛してる、大好きだよ』って
カレに10回言ったら

カレも「愛してる、大好きだよ」って
キミに10回言えばOK

とか、そういう単純なことでは
ないでしょ?きっと。

無口で不器用・無骨なカレが
何かの折にめちゃくちゃ照れくさそうに

「愛してるよ・・・」

と、目をそらしながら、消え入るような
声で絞り出した時

『えっ?なになに!♪
もう一回言ってぇ~♪』(*´艸`*)

とか、ドラマにありがちな
こんなワンシーンw

1年に1回言ってくれただけで、
それはキミにとって、もう100回
言ってくれたのと同等の価値がある。

みたいな感じっていうのもあると思うのだ。

「愛してるよ」というひと言を

挨拶代わりのように簡単に言える人

そのひと言を絞りだすのに
めちゃくちゃエネルギーを要する人

コレ、どっちが良いかっていうのは
もしアンケートをとれば
票が割れそうな気がするでしょ?

単純な回数のバランスじゃなくて
そこに消費される質量・エネルギーの
バランスっていうことだよね
こういうのって。

・・・

と、こんな書きながら思ったのだけれど

きっと、こんなのもキミは既に充分
わかっていることなのだろうな と。

そして、そんなことは
ちゃんと含んだ上で
バランスをはかっているのだ。

カレのキャラ・性格を踏まえた上でも

私のしてあげたい10に対して
私のしてほしいがせめて3くらいは
返ってきていいはずだ。

なのにカレはギリギリ
1しかしてくれない。。。

みたいに(p_-)

そう。

こういう観点からバランスをはかろう
とすると、コレはどこまでいっても
キリがなくて、ずっと何かしらの
アンフェア感がつきまとってくるわけ。

いわゆる損得勘定の“勘定”では
この“感情”の始末はつけられないのだ。

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というわけで、この

してほしいとしてあげたい問題

もうちょっとカッコイイ言い方をすれば

「求める愛」と「与える愛」

みたいな?!

こんなテーマをちょっとだけ
紐解いてみようかと(゜゜)

(つづく…)

・・・

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