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“悩む”と“考える”
この二つって違うよね?
コレは僕の勝手な
何となくのイメージだけど
“悩む”よりは“考える”の方が
ちょっと積極的で前向きな雰囲気が
漂っているような気がするわけ。
“悩む”っていうのはどこか
受動的な感じがするけれど
“考える”っていうのは何となく
能動的な感じがするというか…
少なくとも“考える”という言葉には
自らがハンドルを握ってる感がある。
悩んでいても解決の糸口はつかめないけど
考えるというのはその糸口探しをすること。
みたいな?!(¨ )
でも、僕たちはコレをいっしょくたに
してしまうことがままあるでしょ?
それは
僕たちって何かしらの悩みや
問題がないと切実に考えないから
そう
人は悩みがある時だけ
本意気で真剣に考えるのよ。
コレってある意味“悩み”が
僕たちに“考える”というコトを
喚起すると言えなくもない?!
で、こう捉えてみると…
例えば
水分が不足すれば喉が渇く。
そのシグナルを受け取って
僕たちは水を飲む。
睡眠が不足すれば眠くなる。
そのシグナルを受け取って
僕たちは寝る。
運動が不足すれば血の巡りが
悪くなって肩が凝る。
そのシグナルを受け取って
僕たちはカラダを動かしたり
マッサージに行ったりするわけ。
それと同じで、もしかしたら
“悩み”っていうのは
最近“考える”が不足してますよー
というシグナルなのかも(¨ )
こういったシグナルたちの発信元は
脳なのか?潜在意識なのか?
内なる・大いなる存在なのか?
まぁ、それは自分が一番しっくりくる
ものをイメージすればいいのだけれど
何かしらのこういうメカニズムって
働いているような気がするでしょ?
“悩み”というのは“考える”機会を
生み出すための必然的なきっかけ・シグナル。
こんな風に捉えてみると
「そうか、闇雲に悩んでないで、
とにかく何か考えてみよう…」
とか
ちょっとだけ前向きになれるというか、
何か自分を取り戻せるみたいな
そんな気がしてこない?(¨ )