いつだったか、春先に真新しいランドセルを
背負った、小学校1年生と思われる女の子が
一人で嬉しそうに道端に咲いている花を
摘んでいる光景に出くわしたのね。
無邪気でとってもかわいい子だなぁ(*^^*)
とか、思いながらも
一人で下校とか、大丈夫なの?
なんて余計な心配もちょっとしつつ
その子の後ろを通り過ぎようとした
その瞬間
その女の子が立ち上がって
いきなりクルッと振り返り
『はい、あげる♪』
と、僕に摘んだ花を差し出してくれた事があって
一瞬 えっ!と面食らいつつも何とか
条件反射的に「ありがと♪」と笑顔で、
花を受け取ったなんて事があった。
なんだったんだ、今の???
と、その時は不思議で
しょうがなかったわけ。
また、例えば
電車の中で抱っこされてる
赤ちゃん、子供 とか
街中を歩いていて、自分の前を
親に連れられて、たどたどしくも
なぜだか、やけに、とっても嬉しそうに
歩いているちっちゃな子 とか
そういう光景が目に入って
かわいい な とか思った時って
かなりの確率で、なぜかその子は
コッチを振り返ると思わない?
そういえば、そうだなぁ と
こういう感じの経験はキミも
きっと何かしら覚えがあるでしょ?
ここ数年、人の心・精神世界的なことについて
勉強する中で言葉・態度などを使った
頭や理屈の領域ではない、いわゆる
潜在意識的なコミュニケーションというか
まぁ、そういうものが存在するで
あろうというのは、ほぼほぼ
間違いないのだろうな と
自分の中で受け入れてはいたものの…
何となく最後の所はどうしても
ボンヤリした認識だったわけ。
でも、先日、先に書いたような
無邪気な子供の振り向き様の笑顔に
遭遇した時、なるほど!
と僕は思わず膝をうったのだ。
そう。
きっと、おそらく
無邪気な子供には僕の かわいいなぁ…
と微笑ましく思っている感が
ダイレクトに伝わっているに違いない と。
僕たちはオトナになるにつれ
意識的コミュニケーション領域が
広がっていくのと引き換えに
無意識的な方のセンサーがどんどん
鈍くなっていったというか。。。
無意識的な方のセンサーが反応していても
それを意識的な方で解釈しようと
するものだから
何となくの 好き・嫌い
虫が好かない、生理的に合わない
みたいな曖昧なモノとして
それを捉えているのだろうな と。
そして、それはただの感覚、
気のせい、思い過ごし?!
とか言い聞かせて
見て見ぬふりをしたり とか
無理に変な解釈をしようとしたりして
だから、不自由で苦しい感じになっている
なんて部分も結構あるように思うのだ。
意識・無意識とか言語・非言語とか
人にはそういうコミュニケーションが
確かにあるのは間違いない。
そう再認識したお話でした(^^)
・・・
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